第二節 日だまりのピッチと普通の生活
1
台場パイレーツに関して、ぼくも事前にいろいろと調べた。
1978年に清川工業サッカー部として創立。その後、Jリーグ加盟の際にシーメンズ月島と命名。その後、五シーズン通じて最高がJ2十位と低迷。
Jリーグ人気低迷の余波を受けて経営難に陥り主力の離脱、平均観客動員数も二千人を割り、メインスポンサーである清川工業の撤退を受けJリーグを除名されかかる。
そんなときにチームに手を差し伸べたのがシュンポシオン・タパス社だった。欧州全域にスーパーマーケットを展開するこの会社は日本を新たな市場に選び、シュンポシオン・タパス・ジャパンの代表取締役鮎川隆之氏は日本市場参入の大々的な宣伝代わりにシーメンズ月島を買収してみせた。
そして東京は台場の新たな埋め立て地に巨大スーパーマーケットを建設。後に改修、増築しレジャー施設とスタジアムを含んだ総合施設『台場ブルーパーク』の誕生となる。
シーメンズ月島はホームタウンを東京都港区に移し、チーム名を台場パイレーツと改称する。こうして東京都二十三区内に初のJチームが誕生した。
台場パイレーツの成績はあいかわらずシーメンズ月島だった頃と変わらず、去年はJ2最下位。
それでも平均観客動員数は一万を越えているのは、全ては大々的な宣伝活動と、台場ブルーパークそのものがひとつの観光スポットと化していることに起因する。
主力選手は、出場こそないが日本代表にも呼ばれたことのある芝宮和斗選手。U−16代表経験者の福田茂選手。シーメンズ月島時代から生え抜き別府豊選手の三名だ。
そして今年、課題だったサイドの補強としてぼくらと決勝を争った福岡清明から図師陽介選手。長崎のアン・ジョンファンこと関東弘道選手を獲得した。
そしてぼくにも声がかかっている。
だがぼくのポジションであるトップ下には、前述の福田茂選手が君臨する。
だからぼくのポジションは必然的にベンチとなるだろう。
高校時代と同じ苦しみをこれからも続けていく。
そしていつか解雇され、何も残さないまま社会へと放り出される。
それならばチームに加わらず、大学へ行った方がましだろう。
だからぼくの心の九割は、この誘いを断ることにしている。
残りの一割は、ただの未練。
あの豊田スタジアムに残してきたサッカーへの未練。
それを断ち切るため。
サッカーを断ち切るため。
こうして東京まで出向いてきたのだ。
参考書を片手に。
2
圧巻とはまさにこの事をいうのだろう。
東京湾に浮かぶ台場ブルーパーク。そこに吸い込まれていく車の群れ。そしてそれを次々と吸い込んでも余りあるキャパシティ。
ぼくと神楽監督は渋滞を横目にブルーパークへと繋がる橋の上を歩いていた。
日曜ということもあってか、まわりはカップルか家族連ればかりだ。そんな中、ぼくと神楽監督の組み合わせは奇妙に浮いている。
というより神楽監督が異様に浮いている。
彼はこういう健康的な場所ではなく、歌舞伎町だとか名古屋でいう錦三丁目とかがピッタリとくる。
ブルーパークは停泊中の船をイメージしているのだという。だがフランスの建築士が設計した外観はまったく船には見えない。どちらかといえば巨大なドームの両端に塔が飛び出しているようにしかみえない。
広いエントランスに入るとあまりの人に思わず苦笑いを浮かべてしまった。中央にあるクジラの骨を吊したようなモニュメントがあり、その周囲のベンチに人が座ってフロアガイドを広げている。
左側へ向かうといくつものテナントが入ったショッピングフロアとなっている。
右側はレジャー施設となっているようで、遠目にボウリング場とゲームセンターのようなものが見える。
「そうだ。これ提げとけ」
神楽監督はぼくにIDケースのついたネックストラップをさしだした。パスケースの中にはパイレーツのエンブレムと通行証とかかれたチケットが入っていた。
「今日はコンサートがあるらしくてスタジアム内は関係者以外立ち入り禁止らしい」
スタジアムの利用用途は何もスポーツだけではない。それはどこでも同じだ。特にリーグ戦のないこの季節だ。あんな大がかりな施設を眠らせておくのは勿体ないだろう。
ぼくがネックストラップを首にかけている間に、神楽監督は待とうともせず中央のエスカレーターを昇っていった。ぼくはあわてて後に続こうとして走り出す。その瞬間、ぼくの出した右足と、近くを走り抜けようとしていた男の子の足が交差した。
男の子は派手に転倒した。
そして何事もなくゆっくり立ち上がる。ぼくがほっとして声をかけようとした瞬間、男の子は唐突に泣き出した。
どうしたらいいんだろう?
「ごめんね。大丈夫?」
とりあえず謝ってみたものの、男の子は余計ひどく泣くばかり。しばらくして男の子の母親が駆け寄ってきて「すいませんすいません」とぼくに頭を下げた。ぼくも軽く頭をさげる。
それから母親は「だから走っちゃダメだっていったでしょ」とか何とかいいながら子供を抱いてボウリング場の方へ消えていく。いつの間にか泣き声は聞こえなくなっていた。
ふと我に返り、神楽監督の姿を探す。慌ててエスカレーターを駆け上がったがどこにも彼の姿は見あたらない。
どうやらはぐれてしまったようだ。
だがぼくは全然あせってなんかいなかった。
子供じゃあるまいし、迷子になったわけでもない。第一招待されたのはぼくで、招待した側がちゃんと案内しないのが悪いんだ。そうに決まってる。
このまま帰ってしまおうか?
突然、そんな考えが頭の片隅をよぎった。
急に何もかもがバカバカしく思えてきた。
自分はこんなところまで来て、何をしようというのだろう?
プロサッカー選手になる?
何を夢みてんだ。
ぼくがなれるわけないじゃないか。
これは何かの間違いで、ぼくは間違った方へ進もうとしている。だから神様がぼくを正しい道へ戻そうと、神楽監督とぼくを引き離したのだ。
さっきの男の子は神様の使いなんだ。
この話はなかった事にしよう。
普通に受験して、普通に大学に通って、普通に恋をして、普通にキャンパスライフを楽しむんだ。
もう無駄にグラウンドを走ったり、壁凪圭悟に嫉妬するのは終わりだ。 楽しくて穏やかな普通の生活がぼくを待っている。
ぼくは決意を固め、通行証の入ったネックストラップをとって、踵を返した。
突然、踵を返したせいで真後ろにいた女の子が驚いた表情を浮かべる。 「いや、何なんですかー。ナンパなんですかー?」
えらく舌足らずなしゃべり方をする女の子だった。歳だってぼくとはそんなにかわらないだろう。その割りには全体の印象が子供じみている。
大きな目にふっくらとした頬。童顔のかわいらしい女の子。ただその大きな目は充血しており、目の下にあるクマが異様に目立っていた。
何日寝てないんだ? こいつ。
「いやー、もー、ごめんなさいです。ナオは急いでるのです。いろいろと大変で……」
「いや、そんなんじゃ」
女の子の目線がぼくの手元に釘付けになる。ぼくの手元――通行証に。 「あのー、スタッフの方ですか?」
「え!? いや……」
スカウトされて交渉に来ました。だけど夢に破れてバックれるところです――とは言えない。情けないし。
「あのー、わたし、マーメイドのオーディションに来たんですー」
マーメイドとは台場パイレーツのチアガールの事だ。ネットでパイレーツの事を調べた時、チアガール専用のファンサイトまであって驚かされた。
女の子はショルダーバッグから履歴書のようなものを取り出す。
雫奈緒。十八歳。ぼくと同い年だ。住所は東京都荻窪……どこだ?
「それでー、トイレいってる間にパス落としちゃったんですー。事情説明しても通してくれなくて困ってるんですー」
おそらくコンサートの警備のためだろう。厳しくするのはファンが何かを口実に紛れ込もうとするのを防ぐためだ。瑞穂陸上競技場でグランパスの警備アルバイトをした時にそんなようなことをいわれた覚えがある。
「ごめん。ぼくスタッフじゃないから」
ぼくは履歴書を雫奈緒に突き返して、歩き出した。
「でも、パス持ってるじゃないですかー」
「これは関係ない」
「通してくれるだけでいいんですー」
「無理」
「わたしこのためにすごい頑張ってきたんです」
まあ、そうだろうね。その目の下のクマをみれば、よく判るよ。頑張りすぎて裏目に出たってやつだ。チアガールのオーディションにそんな顔で挑もうなんて。
「ホントお願いします」
「だからぼくじゃ無理なんだって」
ぼくは彼女を振りきるためにトイレへと走っていった。さすがにここまでは追いかけてこないだろう。
トイレの影から外を見ると、雫奈緒のトボトボと去っていく背中が見えた。
少し罪悪感。
でもしょうがない。ぼくがスタッフじゃないのは事実なんだから。それに一度引き返すと決意したのを翻すわけにはいかない。そんなことをすれば、また決心が揺らいでしまう。
ふいに女子トイレから出てきた二人組の女の子がぼくを訝しげな目で見た。やたらと綺麗な二人組で思わず両頬が火照るのを感じた。
ぼくは慌てて不審者でないことを表明するため、待ち合わせをしているかのように携帯を開き「奈緒の奴、いつまで待たせんだよ」と呟いた。雫奈緒はさっきまでぼくが逃げてた相手だというのに。
二人組の女の子はすぐにぼくへの興味を失ったらしく、会話を再開した。 「そういえばあの子のパスどうしたの?」
「捨てたよ。あたりまえじゃん」
「アカネ、悪人だねー」
「別にアタシはあんな事しなくても受かるって。ミホのために競争率下げてあげたの。感謝してよね」
「そ、そうなの……ありがと……」
ああ、なんか業界してんなー。
まるでテレビドラマでありきたりな事が行なわれてんだ。厳しい世の中だ。ガンバレよ。奈緒ちゃん。
3
ぼくはそのままブルーパークを出て行く。
今さら、ぼくに出来ることなんかない。第一、この人混みの中から奇跡的に雫奈緒を見つけ出したとして、さっきの二人組に引き合わせたとして、何になるだろう?
いざこざが起きるだけだ。
その先には何もない。傷つけあって終わり。
だからぼくは一刻も早くここを出て行くことにした。
もしうろうろしていて偶然にも雫奈緒を見つけちゃったりしたら、またまた罪悪感に駆られる。それどころか良心がうずいて、何かしてあげたくなっちゃう。
そんな奇跡的な運命で、ぼくの人生を左右されてたまるかってんだ!
ここを出たら普通の生活が待っているんだ!
なのに。
なんで。
こいつは。
こんなところにいるんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!
エントランスを出てすぐ。橋に向かう道の両脇に並ぶ魚や錨のモニュメント。そのうちのひとつ――イルカのモニュメントに抱きつくようにして、雫奈緒が眠っていた。
斜陽を浴びて、気持ちよさそうに、寝息を立てて。ちなみにスヤスヤなどと可愛いものではない。グーグーといびきにも近い寝息だ。
春眠暁を覚えず。
猛浩然の言葉だ。うん、勉強になった。
だからそのお礼に。
礼には礼をもって。
雫奈緒のために何かしてやろうと思った。
「おい。こんなところで寝てる場合じゃねーだろ」
ほっぺたをつついてみる。異様にやわらかくてドキドキしてしまった。
「うー……誰でふかぁー……朝でふかぁー」
半眼でぼくを見る奈緒。あいかわらず目の下のクマは健在だ。
「ほら、起きて。オーディション行くんだろ。このまま引き下がったらあんな典型的な悪女役をやってくれた二人に失礼だろ」
「何の話でふかぁ? それより誰でふかぁ? ここはどこでふかぁー」
あいかわらず寝ぼけたままの奈緒。ぼくはしょうがなく彼女の手をとって無理矢理イルカから引きはがした。彼女はフラフラとぼくにしがみついてくる。
すごくいい匂い。
たぶんオーディションのためにとっておきの香水をつけて来たのだろう。
「ああー、ひょっとして痴漢でふかぁ?」
「自分からしがみついてきたんだろ。ほらちゃんと歩く!」
「ナオはしっかりした子なのですー。隣のおばあちゃんはたい焼き買っていくといつもそういってくれるのです」
「はいはい。いい子だから早く目を覚まそうね」
ぼくが手を引くと奈緒は危なっかしい足取りで歩き始めた。
「おつかれさまです」
ぼくがそう言うと、警備員は軽く会釈を返してくれた。経験上、若いアルバイトの警備員はパスを持っている人間に対して弱い。彼女も関係者ですという言葉に何の疑いも持たなかった。
ブルーパークの構造は三階までがショピングフロアとレジャー施設になっていて、その上にスタジアムがある形だ。エントランスは三階までの吹き抜けになっていて、エスカレータもしくは階段一つでスタジアム入り口へと到達できる。
入り口を抜ける頃には奈緒もすっかり目覚めていた。あいかわらず舌足らずで目の下のクマは酷くなるばかりだけど。こんなんで受かるのだろうか?
「いやー、助かりましたー。ありがとーございます」
「とりあえず会場までは送るよ。パスもってないんだろ」
「何から何まですいませんですー」
スタジアムの内装はまさに海賊船そのものだった。木造の廊下。所々に置かれた酒樽やそれを照らすランタン。天井から垂れ下がったロープ。並べられたオール。コンコースには小型のボートが置かれている。
「もうここまでで大丈夫ですー。すぐそこが会場なんですー」
奈緒ははじめてぼくに微笑みかけた。とても素敵な笑顔だった。この笑顔があれば目の下にクマがあっても奇跡が起こるかもしれない。
ただもし奇跡が起きて、彼女がマーメイドの一員になっても、彼女の応援するチームにぼくはいない。
「なあ。そんなにパイレーツが好きなのか?」
「はい。大好きです」
「なんで?」
「なんでもです。好きな理由なんか考えたことないです」
「そっか」
ぼくは笑った。笑って右手を挙げた。
「受かるといいね」
「受かるのです」
雫奈緒は何故か敬礼して、さらに頭をさげ、最後にもう一度笑顔を見せると、オーディション会場へと消えていった。
4
ひとりになったぼくは、すこし気分良く廊下を歩いていった。木造の廊下は歩くと微かに軋んだ音をたてて、なんだか本当に海賊船を歩いているような気分になった。
いつかまたここに来るのもいい。試合でも観に、客として、このブルーパークを楽しみに。
突然、光が差し込んできた。何か牢屋を思わせる鉄格子の向こう、光を受けた場所がある。
ぼくは足を止める。
日差しをうけて青々と輝く芝生。
それを囲むように聳えるスタンド。
ぼくは引き寄せられるようにそこに向かっていく。
鉄格子に触れると、ギィィィィと音をたてて開いていった。
ぼくとピッチを隔てるものはなにもなくなった。
踏むことのなかった国立競技場の芝生。
三年間、ぼくをピッチとぼくを隔てていた強固な見えない壁。
この先にあるのは戦場で、大きな壁が普通の生活とここを隔てている。
ずっとずっと越えたかった。
でも、越えられなかった。
いくら練習しても、どれだけ体を虐めても、この壁はあまりに高く、あまりに強靱。
日差しがぼくに降り注ぐ。
芝生の青い香りを吸い込む。
三百六十度、広がる無人のスタジアム。
ここを四万人の観客が埋めたなら。
その中でプレーできたなら。
芝生に足を踏み入れた瞬間、涙が出た。
いろんなものが胸に溢れてきた。
三年間の苦しみ。
あきらめた夢。
友と追いかけたストイコビッチの背中。
ああ、こんな感傷に負けるなんて。
こんなことに涙するなんて。
ぼくは――
ぼくは――
――ここでサッカーがしたい。
だから嫌だったんだ。
あのまま綺麗にあきらめたかったんだ。
こんな終わりかたないじゃないか。
まるで人生に負けたみたいだ。
くやしくて。
悲しくて。
「どう思う?」
背後から声が響く。この低くかすれた声は――
涙をふいて振り返るとベンチに神楽監督が座っていた。すでにここが自分の指定席だといわんばかりに、どっかりと腰を降ろしている。
「このスタジアムをどう思う?」
最高のスタジアムです。そんなこといえるわけがない。ぼくはここでプレーすることはないんだから。ここは特別な者達の特別な場所で、ぼくの立つべき場所じゃない。
「最低なスタジアムだ」
神楽監督は吐き捨てるようにいった。
「最低? こんなにすごく充実したスタジアムなんてみたことないですよ」
神楽監督はぼくの返答を鼻で笑った。
「充実か――たしかに充実している。サッカー以外の施設はな」
「……」
「一体何のために控え室を装飾する必用があるんだ? 室内練習場もありゃしないし、芝はところどころ禿げちまってる」
神楽監督はゆっくりと立ち上がり、歩いてぼくの横まできた。ふたりでスタジアム全体を眺める形になる。
「ここに来る奴らはブルーパークという施設の観光が目当てで、サッカーなんかにゃまったく興味をもってない。むしろ余興だ。知ってるか? 試合に出てもいないお前がスカウトされた理由を」
ぼくは首を横に振る。それはぼくにとってもずっと謎だった。
「カッコイイからだよ」
「は?」
「ここの選手の選考基準はカッコイイかどうかだ。つまり美男子を集めることにある。実力なんてその後だ」
カッコイイといわれたことに照れるよりも、あまりもおかしな選考基準に唖然とした。
「カッコイイ選手を集めてJリーグを戦わせる。集まるファンはアイドルのおっかけみたいなもんだ。勝とうが負けようが関係ない。目当ては選手なんだからな」
「冗談でしょう?」
「これが真実さ。いくら強いチームを作ろうとしたってJ2の観客動員数は知れている。第一、J1にしたってもはや海外のスター選手を呼ぶこともなく、代表に選ばれるような選手はどんどん海外にいっちまう。コアなファンや一部の人気チームだけが安定した経営をつづけている。ならいっそのこと今や暑苦しいと化したスポーツよりもエンターテイメント性を重視しようってのが上の考えだ」
そんな事でいいはずがない。
わかってはいるけど。
頑張っているチームがどんどんと経営難で消えていくのが現状だ。生き残っていくために、何らかの手段をとるのは当然だ。プロチームは収入あってこそなのだから。
「ここがサッカーの墓場だ」
神楽監督は苦笑混じりに両手を広げてみせる。
この輝くピッチが。
憧れ続けたピッチが。
墓場?
「多くの観客ためにエンターテイメントが必用だ。それがシーメンズ月島時代からのサポーターをないがしろにしたものでも」
「そんな見せかけだけのサッカーがいつまでも続くはずがない」
「そうかもな。だがどうだ? 普通にやっていてもJリーグの人気は下降していくばかりだ。だったら別の手段を試みるのも処世術と呼べないだろうか」
衰退するサッカー人気。代表戦だけもりあがればいいという多くの国民。海外サッカーにしか興味はなく、レベルの低いJリーグには見向きもしないコアなファン。
「それでも……名前のある選手はいなくても……いい試合はあるんです。いいチームはあるんです」
「知ってるさ」
神楽監督の声にはじめて哀愁が感じられた。すごく深い水底に投げかけるような響き。
「だがそれを知ってるのは一部のサポーターだけなのも事実だ。まずは試合を観てもらわなくちゃならない。それには話題性、魅力がどうしても必用になる」
神楽監督がぼくを見た。それはまるで何かの審判をぼくに委ねるかのような、強く厳しい眼差しだった。思わず息をのむ。
「お前はどう思う? お金を払って見に来る観客がいる以上、プロサッカーはエンターテイメントであるべきか。愛情を注ぐサポーターがいる以上、真摯にスポーツの勝ち負けにこだわるべきか」
そんなこと……
そんなことぼくにわかるわけがない。
ピッチにすら立てなかったぼくに。
どうしてそんなことを問うのか?
ぼくは、ただ自分のことだけを考えるので精一杯だった。
観客やサポーターのことなんて考えたことはない。
誰もぼくなんて観てなかったから。
彼等の視線の先には、いつも壁凪圭悟がいた。
「いよいよおでましだ」
神楽監督が貴賓席を見上げる。スタジアムの上部。せり出した貴賓席に人影のようなものがみえる。遠目にそれがスーツを着た女性だと判った。
「このサッカーの墓場の墓守にして、我らが台場パイレーツの社長――鮎川美里嬢だ」